アートと女性の人生

アートは習熟し、上達するのにかなりの時間とエネルギー、そして費用もかかります。
(まあ、他の仕事もですが)
そして、それは女性の人生にとって、どういうものなのでしょうか?

ライブの追っかけの間、ライブ会場やテレビや映画でも、
結婚等を機に活動が減った女性アーティストがいました。
又変わらない方も、逆に増えたような方も。
それはまた運命みたいなものなのでしょうか?

すご〜くほしいもの、すご〜くやりたいこと、ってその人の人生のバランスを崩してしまうし、
一歩間違うとめちゃめちゃにしてしまうようなコワさがありますね。


昔、知っている人に私よりずっと年上で、すごく素敵な女の人がいました。
その人は、社会的に良い肩書きを持つ夫がいて、経済的にも恵まれた人でした。
子供達も順調に育ち、又良い就職を。
 性格も良く、同性がみても憧れるようなカンジのいい人でした。

その女性は、主婦業にひびかない程度に、おけいこゴトをして、
社会人のアート系サークルにも入り、素人としてはとても良い成果を上げ、
又ボランティアで市の社会的な活動もしていました。そして、年を取っていった。いつしか、
髪も銀色がかった白髪に。

誰も彼女のことを悪く言う人はいないし、夫にも子供にも愛され続け、
妻として母として敬われていた。主婦として本当に成功して幸せになれた人。

その人が私に教えてくれたことがありました。別に彼女は私のことを知らないし、
何かそういう話をしたこともなく、年配の人が自分の人生で学んだことを、
年下の私に思い出しついでに、ちょっとづつ、ちょっとづつ、聞かせてくれていて、
それもそういう話の一つだったのですが。

「女はね、何ごともほどほどがいいのよ」、と。

それはだれもがうらやむような恵まれた家庭で、
優しい両親に愛されて育ち、順風満歩で進み、いい夫に愛されて嫁ぎ、
いい子供に恵まれた。お金にも困ったことがない。
 
女性としては銀のさじというような、うらやましい人生に見えたのですが、
その言葉の中に、彼女がその人生を維持するのは、決して楽なことばかりではなかった、
と感じられたのでした。
彼女は本当に賢い女性だったのだと思います。自分を抑えて生きてきた。
その楽さと、大変さは、両刃の剣なのかも。

ゆるぎなく見える家庭の平穏なんて、ちょっとバランスを崩したら、
簡単に壊れてしまう。自分が崩さなくても、家族の誰かが崩したら、
それは戻すのが本当に大変なのだと思う。運も当りもありますが。

母親の役割は、一家の中でとても大きいです。本当に家庭の幸せを維持していくために、
見えない苦労がいろいろあると思います。

(父親も同様ですね。そのバランスは本当に大変だと)

結婚して家庭を守る、時代ごとにファッションとか言動は違っても、
女性の前に立ちはだかるのは、「女大学」というのでしょうか、
「女性の役割」を果たすことと、自己実現の相克の大変さが、垣間見えた気がいたしました。

 どっちを選んでも、必ず幸せになれるという保証はないです。
薄幸っていうか、どっちも上手くいかない場合もあれば、両方手にする場合もある。


 私の知人のその年配の女性の方は、たまたま運良く
その「女性の役割」に徹することによって、経済的にも社会的にも家庭的にも
成功することができました。

しかし、逆の場合だってあるし、人によって、時と場合、運によって、
どんな結果になるかなんて、最後まで誰にも分からないですよね。

女だけでなく男の場合も、
アーティストであることと、生活していくことの大変さのバランスは難しいです。
どうしても、どっちかに傾かないと……..ですから。

アートは男女関係ない業界です。そこは良い所ですが、
だから、逆にアート系の女性は手一杯がんばらないとならないです。

アートは、並外れた練習量を維持することを、要求してくるし、
特に舞台系の人は、家庭でできることに限りがありますから。

 ただそれでもどうしても、好きなこと、したいことがある場合は、
割り切ってでも進んでいくしかないのかもしれないですね。

(これは前に書いたコラムに似た問題があります リンク

アートでなくても、他の仕事の人でも趣味の人でも同じ問題が女性にはありますね。

ただ、女性は逆にその分許される部分があるので、楽なこともありますね。
何かを極めようとして、挫折するときの口実に女性としての問題をしてしまうことだってできます。

家事って、やってみた人でないと分からないけど、長期に渡ると本当に大変。
専業主婦だって、精神衛生から何から含めると、共働きと又違う大変さだし。

(同様に男の辛さと楽さもありですね。仕事だけ、も本当に大変)

ただ子供を育てる目的中心に作られた結婚制度は良くも悪くも、
男女双方それぞれがんばらないとならない部分があるので、
ある程度こういう形態になっているのは、あながち差別というだけではないのだと
思える部分もあります。

ただ、それを悪用して、女性を虐げるケースが増える場合は、この制度自体が
ぐらついてくるのだと思います。

女性の社会進出が著しいアメリカや中国は、昔、女性がしんどい国だったようです。

都合いいときだけ「男」になって、都合いい所で「女」に戻るっていう訳にもいかないですから。
(ここが現代女性の考え所ですよね。何を選ぶか。人によって違いますね。これは)

ティーンエイジを過ぎた大抵の人が学ぶのは、男女の「純愛」という状態は
そう長くは続かない、ということです。

そして、もっと年食うと学ぶのは、その「夢みるような純愛」(ひと目惚れの瞬間みたいもの)が
終わった後、双方の努力があれば、それを超えるような別の種類の「愛」、
パートナーシップが育つ場合があるということ。

(これも相性ありますね。なかなか、これは簡単にいかないですね。運もありますね)

男女にまつわる法律は、上記がうまくいかない場合を、
制度でカバーするというような、ものです。
それがないと、社会がめちゃめちゃになりやすいからですね。

……..だから、何を選ぶかは結局自分で納得できるものでないと大変だと思います。
ネガティブなことを考えるのはよくないですが、例え上手くいかなかったとしても、
納得できる方を選ぶっていうか。

基本的に「人に託した夢」は、何らかの形で裏切られることが多いように思います。
そういうつもりなら、託さない方が幸せになれる。
最後に手に残るのは、自分の活動だけです。

しかし、人間は自分の活動だけでも、幸せになれるとは限らないと思います。
うん。私には分からない。

 リスクとか人生の目的とか、生活の大切さと生きがいの大切さとか。
こういうの、アート関係では、特に一生悩む人が多いと思います。

男性よりも、女性は少しもっと、生活のこと考えないとならない部分が大きいかも。
(そんな強く生きられる女性って、多くないと思うから)

(まあ、中には育った環境によって、結婚した状況によっては、
経済的に保証されて、「したいこと」三昧どっぷり、っていう恵まれた女性もいますね。
そういう場合は、男性より強いかも)

ちなみに女性の独身も楽なようで、けっこう社会的に良くはないし、
自己精神管理も大変だし、年取ってからの心配も一杯ですね。
独身者にも家族の悩みある人多いですね。大企業の人は別ですが、
それ以外の方は経済的不安も多し。

(でも扶養義務のある家族がない場合は、生計を担う男性より楽ですね)

どの業界でも難しい、同業者同士のパートナー
(追っかけはミュージシャンでないですので、
理解が少なく、一般的に考えたことのみです)

北海道で、他民族音楽のミュージシャン一家と言えば、
Hard to findの小松崎ご夫妻ではないでしょうか。

HtFのリーダー夫人小松崎操さんも、素晴らしいミュージシャンで、
母であり妻でありますね。陰では本当にとても大変だと思います。
ただ、ご主人が「あの健さん」だから、力強いと思いました。

アーティスト同士だけでなく、一般企業でも医療福祉業界でも、
「同業者同士」は大変だと言われます。
「できれば避けたい」と言っているのを、何回も聞いたことがあります。

でも「画家は画家にしか惚れない」と昔思ったことがあるのですが、
本当に惚れるのは、同業者同士だと思います。ただ、結婚になるといろいろ大変。
それは又別の問題ではないでしょうか。

でも小松崎家は全員同業者。
そう、健さんは奥様、娘さんを心から愛していると同時に、
音楽も心から愛しています。
確かにたまたま操さんは外見も中身も本当に素敵な
得がたい女性です。学生時代は「学校のマドンナ」タイプ。

ただ、健さんに特により感じるのは、男であろうと、女であろうと、
とにかく「音楽を分かち合える」ということも、とても重要なのだと思いました。
サラリーマンを捨てて、収入の不安定なアーティスト、
その中でも生活の大変なアコースティック音楽に一生を捧げるHtF。

 だから健さんは奥さんが、あれ程の素晴らしいフィドルを演奏しないと、
満足できないのだと思いました。
 北海道のインディーズの他民族音楽の中心として、
私の憧れの音楽一家の小松崎家。
 こういうリーダー健さんの下で、奥さんも愛娘さんも
のびのび音楽に命をかけていけるのだと思いました。

 ジョン・レノンなら、操さんは「ヨーコ」にならなければならなかったかもしれない。
でも、操さんは別に健さんにそういう要求はされないようですね。
「ヨーコ」は私から見ても、偉大で素晴らしい才能豊かな女性だと思います。
でも一面「女大学現代アートバージョン」ですね。

(うん、類まれなる音楽能力のある、N.Yで活躍する美術系アーテイストで、
アメリカ最高クラスの女子大出の、安田財閥令嬢と、

世界的ポップスの大スター「ビートルズ」の、リッチ&フェイマスなジョン・レノン
の組み合わせは、当時憧れの的になった割りに、
現実問題、一般的でない特殊な例のような背景がありますね。

ただ、ソロになってからのジョンの音楽、あのボーカルは本当に奇跡のように素晴らしいです。
あの声と歌い方は世界をゆるがしましたね)

沢山のHtFのライブを見ていて、何となく感じたのは、
健さんは「ヨーコ」を望まない人なのかな?ということでした。
何かそういうの、一見保守的に見える健さんの、新しさのように思えることがあります。
健さんは、何でも自分でやってしまう人だし。

うん、そして健さんは、やはり死ぬほど音楽が好きなんだと思います。

まあ、HtFのケルト音楽の中でも、中心的なアイルランド音楽には、
音楽一家のユニットがけっこういますから、それもあるのかもしれないですね。
(うん、アイリッシュ音楽の中では保守的なだけなのかも)

健さんご自身は、リーダー(指揮・旋律楽器演奏者・リーダー業務・営業・
マネージャー・広報等々)、で本当に大変に思えます。だけど、奥様の操さんのこと以外でも、
とにかく健さんがどんなに音楽が好きか
それがリーダーとしての器にすごく影響しているのだと思います。

そして、それが時として得がたい深みをかいまみせてくれることのある、
HtFの音楽に現れているような気がしています。
このブログに何度も出てきた程、メジャーなユニットのリーダーと違って、
インディーズのリーダーは何でもしないとならないから、本当に重い仕事だから。

まあ、どんな家庭だって、先のことは分からないです。何があるかなんて。
でも、私は小松崎家の幸せを末永く願っていますし、
仮に何があっても、それはそれで、得がたいプロセスを踏んでがんばってきたのだから、
何にせよ素晴らしいのだと思いました。

(誰しもが、そうであるように)

....................たまたま音楽一家のHtFが身近でしたので、例に出ましたが
こういうのは、他の仕事でも、他の世界でもいろいろだと思います。

で、話は戻りますが、

こういうことは、多くの女性が悩み続けてきたことです。

何か良い道はないのでしょうか?

現代において、社会・家庭・個人、これの何かが「犠牲」というだけでは、
長くは続かないと思います。

何かこう、何とかうまく女性も道を探っていきたいものですね。

アートは、上達するのに、かなりのエネルギーと費用、時間もかかります。
それをムダにするのは.........。

他の仕事でも、女性は同様なことで悩んでいると思います。

ただ、何かを自分なりに極めようとするとき、挫折する言い訳、
女性にだけ許される「逃げ道」も「口実」も女性にはあります。
この楽さは、男性にうらやましがられる部分ですね。

で、アーティストの場合、他の仕事より「生活」の悩みが多いかもしれないです。
多少はある、「お金が解決すること」っていうのも........むずかしい問題です。

.........また、たまたまアーティストで経済的に大成功しても、
女性の場合、収入が高すぎると、またプライベートで難しい問題がおきてくる
場合もありますね。

................どこに標準を合わせても、必ず幸せになれる保証はありません。
そして、計算ばかりしても、何もできないです。
計算づくで、自分を抑えて続けて生きてみても、それで上手くいくとは
限らないです。

人間なかなか、そんなにいさぎよくはなれないですが、
強いて言うなら、自分が一番自然でいられる方を選んで生きていくのでしょうか?

自分のことだけ、大事にして生きるのも、又難しいと思います。
自分のエゴだけ満足させても、幸せにはなれないし、
それは「アート」にも出るような気がします。

また、すべての人が「アート」(何かの仕事も同様)だけに命をかけているとは
限りません。大事なものの比重は、人によって違いますから。

家庭のことだけでなく、仕事も、好きなことが幾つもある人もいます。
一つのことしかしない人もいるように。

丁度いいバランスは自分の場合、どこなのか?
千人千様ですね。

人の目を変に気にせず、惑わされず、でも人の道も考慮しつつ、
心静かに、アートと自分について、考えてみる時間も必要なのかもしれないですね。

日々に流されて、自分を見失ってしまうから。

ライブの客席とはいえ、人の不幸ばかりを見ているなら、
その時その客席の人は自分の足元が見えていないのかもしれない。

こーゆーのは、何をしている人も同様で、
女性はみんないずれ突き当たる問題ですね。

もちろん人のことは全然言えない私です。
......................はは。

(C)