評判の悪い映画特集 韓国ドラマ 「ファン・ジニ」

   − ジニが選んだことは、ジニの真意だったのか? − 

韓国ドラマ「ファン・ジニ」堪能させて頂きました。特にジニの「踊り」シーン。

お宝映像一杯でした。朝鮮舞踊全部ライブで見たいですね。

また、韓国の民族衣装がこれ程美しいとは知りませんでした。

女性の正式な座り方も、正座の日本の着物と違い、足にタコが出来たりしない気がして、感心しましたね。

音楽も向こうの弦楽器は、一部インド古典と似たものがあって、これも興味深々。

しかし評判の悪い身分制度。どの国にも昔はあった身分制度のドラマ、映画。

    

ファン:ジニは朝鮮が誇る、実在の、伝説のアーティスト。楽器も詩も舞もずば抜けた絶世の美女。
しかし身分制度で、「キーセン」という低い身分。キーセンの多くは、「教坊」で共同生活を送り、
多方面のアートや教養の教育を受けられるが、一人前になると、仕事として主に宴会で唄や踊り、
楽器を披露し、お座敷を務め、又ランクによって雰囲気は変わるが、
必ず何らかの売春行為を強要させられる、残酷な身分。

「解語花」と呼ばれ、朝鮮の宮廷、貴族階級と話が合うように、教養を身につけ、
芸事の精進を義務付けられた高級娼婦階級。(昔の祇園に似ているし、
外国にもありますね。映画「娼婦 ベロニカ」とか)

しかし「娼妓」という、昔の日本の遊郭のように、売春だけという階級もあったし、

労役専門奴隷の「奴婢」というようなものに比べたら、彼女らは羨望を受ける部分はあったようです。
名妓は現役中に財産を築けるようで、ドラマでは水揚げの「花代」に瓦屋根の家一軒とか、もらえるという話が出て
びっくりですが、実際は年を取ると経済的にも大変で、現役中にドライに稼げるだけ稼がないとという状態。
しかも管理側に絞るだけ絞られて、老いると挙句ポイ捨て。

映画の「ファン・ジニ」に、キーセンの葬儀は参列者が笑う演技をする風習があるというシーンが出てくるように、
「死んだ方が幸せ」、「死んで良かったね」という苦界浄土。身分違いの結婚は許されず、結婚しても、
年を取って買い手がなくなるまで、売春行為を拒否することはできないし、
同性愛行為は体が不自由になる程罰せられたし、芸事が好きならともかく、
厳しい稽古(修練)が嫌いなキーセンは、それも苦痛だったよう。

キーセンの中でも芸事に長けている者は、一般客に売春させられることはあまりなかったようですが、
でも外交の時等には強要されるので、遊郭と同じように、落籍されて、誰かの側室にでもなるまで、
そういうことの繰り返し。側室になっても、先の生活は保障されていないし、
旦那が死んだら無一文で放り出されるのがオチ。もっとも本妻でさえ、男の子を産んでいないと
似たようなことになりかねない、女性にとって悲惨な昔の朝鮮。

で、物語にもどっぷりハマりました。ドラマは主人公のジニがグレている時期が中心の話なので、
ジニの、あまりの憎々しさがちょっと...でしたが、含蓄ある、素晴らしいドラマでありました。

あまり書くと、見てない人に申し訳ないので説明できませんが、このドラマを見ると、

民衆の中で踊るジニを見て、その後のことをいろいろ想像するし、「続編まだなの?」という気持ちになります。
しかしファン・ジニの映画も、ドラマもそもそもフィクションが多いのですね。
後世に残った数々の逸話を元にした物語。だから映画とドラマでは違うストーリーになっていたりします。

ドラマはアートに焦点を当ててますが、映画は当時の身分制度や社会運動的な部分にスポットが当たっています、
女優ハ・ジウォン(サインくれろ)にぞっこんになりましたが、映画のソン・ヘギョンも、
それはそれで良かったし、どちらの物語もそれぞれでした。

で、小説と解説書を買って読むと、すごいショック。

ジニは最後はドラマにも出てくる学問の先生に師事し、アートを捨てて、
時には虫喰われ、膿み、垢だらけの姿になって、放浪して歩いたり。

 

読んだ直後の衝撃。ドラマどっぷりだったので、フィクションであろうとなかろうと、

教坊の行首ペンムとメヒャンが、それぞれ大芝居打ってでも、
命をかけて守り通したキーセンの星、ジニの舞を、ジニは捨ててもいいのか?!!と
勝手な怒りが爆発していました。

 ちなみに、ドラマの行首ペンムとメヒャンは、それぞれ最高でしたね。

三人の作家がそれぞれ「ファン・ジニ」の本を書いていました。当時有名でもキーセンのことは
正式な記録に残らないので、大まかなことと、残った幾つかの逸話を元に、それぞれの作者が違う小説を
書いています。どれもフィクションながら、そういうこともあるだろうというリアリティがありました。

で、三種類の小説と、映画(小説とほぼ同じ内容)、ドラマはどれもフィクションですが、

ジニがやがてアートを捨ててしまったのは、本当のようでした。

悔しい!!楽器と詩は特にずば抜けていて、舞はその後だったよう。

そして儒学者のファダム先生に師事して、学問に打ち込み、先生の死後は師では得られなかった
「真実」というものをまた探して、最後はどこかで朽ち果てたという話。

どんな学問だったのか分からないけど、儒教社会、身分制度の傷を癒してくれるような内容が
その中に含まれていたのか?でもそれだと宮廷で弾圧されるだろうから、直接そうではないですね。

芸事は極まると、やはり深い世界ではないのか?

なぜそれほどまでに磨き上げたアートを彼女は嫌いになったのか?

小説の方に、もう年取ってぼろぼろの姿で、しかも母の介護で築いた財産を失い、
文無しになったジニが、仕方なく楽器を演奏すると、またお金がどんどん入ってくるというエピソードが
あるので、腕が落ちて出来なくなった、年齢で容色が衰え、お座敷がかからなくなってしまって辞めた、
というのとは違うようだし。

 芸事命でキーセンになったジニながら、売春とセットになっていること、
売春行為を強要される人生、身分制度の不条理さに、心から傷を負い、
卑しい身分と蔑まれることの怒りを鎮めるのは、ステイタスの高い「学問」というものだったのか?と。
(嫌味になるのは、アートを全うしてほしかったから)

それとも、明国から大流行していた性病のうちの軽い何かを患い、体力が衰え嫌気がさしたのか?

 そして美貌過ぎて、モテ過ぎて、何の信念か年取ってからわざと全然身なりに構わなくなった
ブリジット・バルドーみたい心境なのか。

 

ジニの肉体に陥落しなかったのは、ドラマにも出てくる師ファダム先生ただ一人だったらしいですが(すごい)、
この先生も大変な思いをしてジニに手を出さなかったことを、後で書いているそうです。(はは)。
それでジニの心を救おうとしたのかもしれないですね。
この先生はアートを重視しない方で、アートより、儒学の学問を修め精神修養をすることを
ジニに勧める人だったよう。十年間先生がこの世を去るまで、ジニはかなりのお金を、
この先生に使ったという話もあるとか、ないとか。
悪く取ると、宗教と有名アーティストという週刊誌の見出しを思い出して、そうなのか?
とも思えますが、実際はどういうものかは、全然分からないです。

この”ファダム先生”は、朝廷への仕官を拒み、一生松都の草庵で学問を続け、
弟子を育てた高名な儒学者ソ・ギョンドクという人。

自分で希望して、自分の仕事を売春行為にするプロならともかく、こういう強制的な状況で、
芸事とセットで行われると、やがて条件反射のように芸事自体にも嫌悪感を抱くようになってしまうのでしょうか?
特にジニは子供の頃からキーセンの立場を嫌悪するように育った部分がありました。

ドラマでは、教坊の中で、行首ペンムと母ヒョングムという2人の素晴らしいアーティストの
それぞれ価値観他の違いに引き裂かれて、影響されて、ジニのパーソナリティが出来上り、
それが障害にもなり、又それゆえにアーティストとして最高の所までいったというように描かれています。

 映画ではジニは教坊育ちでなく、貴族の娘として育てられて、やがて家を追われ、
仕方なく自分でキーセンを選んでいくようになっています。どちらにしても、
キーセンらしいドライな生き方、考え方に否定的な視点を持つような生育歴があり、そうなったのでしょうか?

キーセンは上っつらだけで、心がない見かけだけの存在と扱われ、
都合よく使えるように「どんな扱いをしても構わない」卑しい低い存在という階級の中の一つに置かれていました。

ジニは封建時代でなく、身分制度のない時代なら、キーセンになって不要な心の傷を負って、
道をそれることなく、アーティストとして精進し、芸の道を全うできたんだろうか?

私の好きな松都の詩は素晴らしいし、名手のコムンゴ演奏はインド古典に似た所があり、
きっと聴けたらファンになったかも。そして実際はどんな舞だったかは不明ですが、
ハ・ジウォンの舞がまた良くて、良くて、ひかりTVを何回巻き戻してみたことか。
どれがメインだったのか、今一つ分からないのですが、心に傷がなかったら、
アートに邁進してくれていたのでしょうか?

学問も大事だが、アートだって素晴らしいだろうが!!!という、森の休日社の個人的趣味の偏見のお話でした。

フィクションは自由なのだから、ドラマ「ファン・ジニ」の続編を作ってほしい。
何なら民衆と共に踊りながら、民草の中で働くキム・ジョンハンと再会再燃して、
新しい愛の形になったり、そして最後は松島教坊に戻り、鶴の舞を完成させ、
故・ペンム行首の後を継いで、嵐の青春後すっかり落ち着き、

舞の道を更に極め、朝鮮舞踊を高め、世界一(少女の頃の志のように)の舞妓となり、
出世という点では最後まで勝てなかった、女楽の行首プヨンと、思い出話でもしながら
一杯やってくれたらいいのではないでしょうか?ああ、見たい見たい。

最初の24話のジニは、キーセンが許されないことばかり次々やってのけ、
キーセンの仲間内に愛されまくったカンジがありましたが、
次の24話(予定)は、アーティストとして熟成していく所。
モチ、踊りシーンは濃く長く、ぎっしり沢山入れてね。(はは)


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