井上憲司 感想集

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@ インド古典について

インド古典音楽の解説は、沢山の専門家の方々になされており
一般客席である編集部がすることはなしです。(はは)

 ただ、最初に聴いた時はとまどう人が多いようです。

 
 芸術的な鑑賞以外にヒーリング音楽としても、その薬効が知られていますが、
ここでは主に鑑賞面について少し書いていきます。

 インドクラシック(インド古典)は西洋音楽と違う成り立ちであり、

聴き慣れないうちは「つかみどころのない」不思議な音楽にしか聴こえない人も多いらしいです。

 でもハマると「どっぷり」これなしではいられずに、
音楽を聴いたり演奏したりしやすいしやすいように、生活・人生を変える人も少なくないそうです。

 初めて聴いて、もし耳慣れないと思いますときは..................、
 
 別に特別な感覚は要りません。
 ただ静かに耳を澄ませていると、段々音が体中に染み込んでいきます。
 
 「西洋音楽」を聴くような感じで、西洋音楽に当てはめて
音楽を聴き取ろうとすると、つかみどころなく感じがちな場合が多いようです。
 丸ごと飲み込む訳でないですが、
理解しようとせずにただ聴き流してるとやがて楽になる感じがしますが、
個人差も感じ方の違いも、また好みもありますので、余計なお世話ですね。

 誰でも耳に西洋音楽のモノサシ、聴き方のくせがついていますので、
最初は気にせず、コダワラずに、ただ音楽を聴き流していくうちに耳が西洋音楽の観念から
少しづつ解放されていくようになっていくと思います。

 最初に井上憲司さんのライブを聴いた時は、
ただリラックスして静かに耳を澄ませていると、体中に音楽が染み込んでいって、
いつしか気持ちも少しづつ高揚していくような、感じでした。

 幾度か聴いて耳が慣れてくると、
もう少し耳が感じ取れるような気がしてきます。

 私の場合は音楽のことはまだまだ全然ダメですが、
それなりに今は少しいろいろな演奏の仕方を聴き分けたり出来るような状態に
なってきたような気がして、また楽しみが増えたような気がしています。
 分かるだけでも10種類以上の演奏の仕方が。

 ラ−ガって、「表現の素」という感じの抽象的な音の元素の集まり、羅列という感じで、
それを演奏者がその時したい種類の表現の仕方に応じて、溶かし方(?)を変える気がします。
 
 聴き始めを通り過ぎて、またしばらくしてからの後は以下のような感じが続きました。

 音楽に入り込むにつれて、単純な音と音の連なりがやがてラーガが進むにつれて、
広がり、時にらせんのように何かを構築し始めたり。
 自然とその構築物の上の方に運ばれるような雰囲気がかすかに現れてきます。
 そしてそこから何か今の自分が見下ろせるような。
イワユル「俯瞰する(ふかんする)」というやつでしょうか。

 
 その頃よく感じた不思議なことですが、
その時によって何か気になることや悩み事があって、
音楽に集中出来ないことがありますよね。

 そういうときに井上さんのライブを聴いてると、
いつしか音楽に引き込まれていくうちに、何か答えかそのヒントになるようなもののかけらが
見えてくるようなことも結構ありました。
演奏終了して、ライブの会場を出てしばらくしてから。

 別に「人生相談」ではないのですが、
ラーガの構造とかを丹念につむいでいく井上さんの演奏が、
不思議と行き詰った自分の状況をほどいてくれたのかなぁ、という気がします。

 それから聴き続けてやっと今年になってから、見えてきたこと。
但しこれは絶好調で乗っている時、しかもそういう種類の演奏の仕方をする時だけですが。

 演奏の中に、一部今まで考えたり感じたりしたことのなかったようなことがおきる時間が
あるということです。
 それは突然始まり、曲想が変わると終わってしまうのですが。

 うまく言えなくて恐縮です。
通常は音楽、ラーガの中に例えば音と音のつながりに、
または弦の振動に、「左右対称」とか「表と裏」とか「陰と陽」の関係が
あるとしたら、

 演奏の途中でそういう上記の通常の音の法則のようなものを越えた瞬間に、
自由になれる空間があることを、かい間見せてもらった気がしたこと。
 
 表現としてラーガを崩したり、モダンアートのように一見めちゃくちゃなことを
しているのと全然違って、あくまでクラシックなラーガの演奏の中にあることです。

 よくバレエで、重力等の物理的法則を逸脱したかのように見える
素晴らしい瞬間があると言われますよね。
 種類は違うけど、あれと似たようなことですね。

 ........音楽能力が低いので、ちゃんと説明できないのが残念です。

 演奏のスピ−ドも、必要に応じて倍速になることもあります。
それでもくずれないで、曲のよさは損なわれていませんし、
むしろその速さでしか表現できない、素晴らしい音楽です。
 客席で気づいた人達は喜んじゃって、喜んじゃって。

 今の所は、10数種類位の演奏の仕方が区別つくようになりつつあります。(拙いものですが)

 とは言え一番いいのは、音楽に没頭してただ何も考えずに楽しめることだと思います。
 自分を越えた何か、自然をテーマにつくられたラーガはそれをただ聴くだけで元気の素で
あります。



 
カセットテープの感想

 ここの最後に井上さんの古典のカセットテープを聴いて、思ったことを書きます。
これは私の中でずーっと疑問だった問題です。

 テープは前に神戸に行った時あこがれのお店「あしゅん」(今はなき)で購入しました。
昔の録音ですが、カセットでのライブの録音の音って悪くないと思いました。

 私は井上さんのライブに行く度に、
写真を撮ったり、こっそり演奏を録音したくてたまらなくなるのですが
いつもじっと、ガマンしています。
(もちろん、他の音楽のライブでも撮影・録音しません)

 だからライブのテープもしょっちゅう古いのも新しいのも販売してほしいものです。
 ライブの本当の良さはどんな音源でも再現しきれないですが、
「あの時の最高だった」っていうのの記念が、やはりおみやげにほしいですよね。


「Raga Bhimpalasri from Live Concert」1997年

sitar 井上憲司
tabla クラット・ヒロコ

 井上さんの昔の演奏ですが、とても良いテープでした。
 私はこのタブラの演奏もとても好きです。
 有名なタブラ奏者の女性のタブラですが、シタールに沿うような感じで
それでいてしっかり自分の音楽があって、何とも言えずいい演奏だった。
 いいテープ買ったなぁ、と思った。

(彼女は井上さんのCD「Foojean」にも入っていて、
とても魅力あるボーカルを披露しています)

 実は私が最初にインド古典に強く興味をもったのは、
タブラという楽器の演奏からでした。
 ライブであの「めくるめく」ような音を聴いてから、
しばらく頭の中はそのことで一杯に。
 あの、ラーガの中で聴いた静かな「ひたひた、どむぅ、どむぅ」という感じの音色。

 (が...しかし私に楽器の演奏は、あらゆる意味で無理なのだ)

 その後もしばらくは何を聴いてもタブラの音しか聴こえない状態。
そして井上さんのシタールの入った演奏を聴いて、初めて「曲全体を聴くように」なりましたね。

 以下は素人で知識ない私の偏見であり、あと分かってない分ピントもずれてると思います。
単なる個人的好みにすぎないことですが。

 一般に、ラーガを聴いていると近年旋律楽器に対する
タブラの入り方がちょっと違う時がありますよね。

 昔はクラシックのコンサートマスターみたいな旋律楽器がつくってきた雰囲気を
タブラがくずさずに、しかも二つの楽器の合うことで更に良いものになった。
 最初の出だしからのテーマというのか雰囲気が、
最後にこの部分で実現・完成される満足感が聴いててあった。

 でも今はジャズのセッションのようなのもあって、
旋律楽器の後に、それまでの流れを分断してタブラの演奏が入るスタイル。
 で、それはどれ観ても旋律楽器の人がとても嬉しそうにタブラ奏者の方に目を向け、
それをタブラ奏者の方がしっかり受けるという感じ。

 たしかにセッションの音楽は予想つかない感じのある、
とても面白い演奏スタイルだと思います。
 客席でも音楽できる人などにとっては、聴いててこのうえなく楽しいものだと思います。
 
 でも私のような鈍感で、しかも昔クラシックファンだったせいか、
私はあまりジャズっぽいインド古典の演奏は好きくないです。
(ジャズというジャンル自体は別に嫌いじゃないです。昔ジャズ喫茶に行ってたこともあった)

 どちら式にしても古典が即興だということには変わりないですが。
 
 これは本当に個人的好みの問題で、すみません。

 

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